たかす・高鷲・タカス、地域情報サイト! 岐阜県郡上市高鷲町の情報満載!! サイト運営者 スギサワカンパニー
喫茶・仕出し
トップページへ
高鷲地域は、清流として名高い長良川の源流に位置し、東には鷲ヶ岳、西には大日ヶ岳がそびえる、静かな山あいの里です。かつては、冬期間はしばしば雪に閉ざされるような山村でした。先人の努力や開拓の歴史を経て、今では"三白産業"(「大根」の白、「牛乳」の白、「雪」の白)を中心に農業を基盤とした観光産業が盛んです。
5〜6千年前から人が住み始めたといわれる高鷲町。平安時代の斉衡2年(855年)、武儀郡を分かって郡上郡が建郡されたころ、鷲見郷八ヶ村、すなわち鮎走、正ヶ洞、向鷲見、中切、穴洞、鷲見、西洞、切立の各村となっていました。この八ヶ村を鷲見(すみ)と慣用することは、明治の中ごろまで続きました。
 明治8年(1875年)1月、第1回町村合併が行われ、これら八ヶ村は鮎立村(鮎走、切立が合併)、大鷲村(正ヶ洞、中切、穴洞、向鷲見が合併)鷲見村(鷲見、西洞が合併)の三ヶ村となりましたが、ほどなくして鷲見村が元の二ヶ村に分割され、四ヶ村となりました。
 明治17年(1884年)これらの村を連合して組合役場を設立しました。
 明治29年(1896年)4月、郡廃置及び郡界変更に関する法律が公布され、翌30年(1897年)4月からこれらの村を一ヶ村として発足することとなり、新村名を高鷲村と命名されました。その後107年がたち、平成16年(2004年)3月1日に郡上郡七ヶ町村が合併し郡上市となりました。
■ 鷲見城跡 ■
高鷲町大鷲向鷲見にある鷲見城は文治元年(1185)の頃、藤原氏北家房前の流れを汲む鷲見頼保によって築かれたと伝えられる山城です。承久6年(1221)、承久の乱において頼保の孫家保は幕府軍に従い、その功により鷲見郷の地頭職を安堵されました。家保の子保吉諸保は京都大番役を勤めたとされています。建武2年(1335)足利尊氏の挙兵に際し、鷲見忠保は東氏や土岐氏に従い、尊氏側について各地で戦功をあげました。これにより鷲見氏の所領は鷲見郷の他にも広範囲に及び、鷲見氏の全盛期を迎えました。
その後、鷲見氏は郡上の東氏の配下に属し、阿千葉城(大和町剣)を居城としていましたが、貞保の時に篠脇城の東常慶に攻められ貞保は自害しました。鷲見氏は東氏と和陸し向鷲見城へ移り、遠藤盛数、慶隆に仕えますが、八幡城の戦いで討死にするなどして、しだいに衰退していきました。
現在は鷲見氏居館城跡が公園になっており、そこから遊歩道が本丸跡付近まで通じています。本丸跡付近の各曲輪は比較的はっきりとに残っています。
トップページへ
Copyright (C) 2005 sugisawa company. All Rights Reserved